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Y.H姉の証                                   2015.12.23

 

 私は2013年6月23日に洗礼を受けさせて頂き2年半が過ぎました。若い時には神様について関心がある方ではなく、かえって目に見えないものを信じることは危険な面があると思い、避けるようにしていました。ですから、キリスト教にも関心が無く、高校生の時に鑑賞した『天地創造』や『十戒』もハリウッド映画の作品の一つと受け止めて、何か暗くて恐い世界という印象でした。

 でも、「聖書」の存在は気になっていました。世界的にベストセラーになっている書物と聞いて、何故そんなに読まれているのか不思議だったのです。

 

 時は流れて、20歳を過ぎて結婚、出産、育児、そして親の病気や介護など人生の節目節目をそれなりに乗り越えながら、毎日が過ぎていきました。多くの人達と同じ様に、楽しいこと、嬉しいことを体験する反面、辛い悲しいことが人生には起こってきます。問題が起こったときに、何とか解決したくて頑張り、必死に努力しても解決方法が見つからない時、自分の無力さを感じました。後から気付くのですが、問題は今起きていることでも、根本の原因は過去にあったのです。

 愚かで無知な自分の言葉や行動で、周囲の人達を傷つけたこと、思う様にいかないことで不平不満を言ってきたこと、過去への後悔の気持ちなどなど。

 辛さの余り見ないふりをし、蓋をしてきたものこそが私の罪であることが分かりました。その罪の重さに耐えられずに心が壊れかけた時に、私より先にクリスチャンになっていた長男が牧師先生に助けを求めてくれました。

 

 牧師先生が家に来て下さって、背中に手を置いて神様に祈って下さいました。たくさんの祈りの言葉から「平安」という言葉が何度も語られ、私が求めていたのは心の平安なんだと気付き、泣きました。

 その後は困った事が起こると直ぐに牧師先生に相談をし、その度毎に神様に祈って下さって、神様からのメッセージを伝えて下さり、その通りに行動に移しました。またメッセージを伝えて下さる時には、いつも「聖書」を開き、御言葉を分かりやすく説明して下さって、その度毎に私の心が少しずつ軽くなっていくのが分かりました。

 以前は難しそうと思っていた「聖書」には、実は何千年も前に書かれた昔々の出来事ではなくて、今を生きる私達が自分の人生を幸福に生きる為の知恵がいっぱいつまっていたのです。お蔭様で今は少しずつ心に平安が訪れているのを感じます。

 

 豊かで幸福な人生を歩みたいと思って頑張っていても、思う様にいかないことが時として起こります。そんな時は、「この道は神様の御心ではないのかもしれない」と立ち止まり、祈りの中で神様の御心を聞ける様になりたいと思えるようになりました。感謝です。

 私はまだまだ勉強不足で何も分かっていません。

 でも、目に見えるものしか信じられない自分から、目に見えないものを信じられる自分に変われたことで、世界が明るくなりました。これも感謝です。

 

 最後に私が一番好きな「聖書」の御言葉を紹介させて下さい。

マルコの福音書11章24節

「祈って求めるものは、何でもすでに受け取ったと信じなさい。そうすればその通りになります。」

 私を教会に導いてくれたのは長男です。本当に感謝しています。そして羊飼いである牧師先生をはじめとして、信仰の大先輩の若い兄弟姉妹達に支えられて、神様の栄光を現わす為に成長していきたいと思っています。ありがとうございました。

北海道ペンテコステ教会

since 1980
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